the unstable 85th.

(不安定な85番目)
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この未来の果てまで

 一日一日は簡単に過ぎていって何時の間にかもうこの家に随分馴染んで一年が過ぎる頃だった。つまり、この家から去るのが近いということ。
 決まっていたこととはいえ、思いの外懐いてくれた従妹に何をしたいかと聞いた時の一言だった。
「菜々子、お前、どこでそんな言葉を……」
 嘆くようにため息を吐いた叔父に苦笑しながら、提案された張本人の俺は菜々子の頭を軽く撫でた。
「いいよ」
「お、おいおい」
「まぁまぁ。菜々子、デートって何するの?」
「え? えっとね……遊んで、よるごはんをお家でいっしょに作る……?」
 菜々子に告げられた言葉を笑って叔父へと目線を配ると、あからさまにホッとしたような笑みを向けた。正直、なにを言い出すか気が気でなかったらしい。
「ほら、良いですよね。叔父さん」
「あ、ああ。行って来い」
「やった! お兄ちゃんとでーとだ!」
「それじゃその日は朝早くから行こうか」
 しゃがんで言えば菜々子は嬉しそうに頷いて、早く寝るためとお風呂へと急いだ。

「いよいよ、になるんだな」
「はい。当日も言うつもりですけど、今までありがとうございました」
 用意されたコーヒーを飲みながら丁寧に頭を下げて告げれば叔父は首を振っていた。
「いや、それはこっちの台詞だ。ありがとう……全く、姉貴達はどうやってお前みたいなのを育てたのか今度聞いてみるかな」
「? なんか俺、変でした?」
 不思議そうに言えば苦笑していると、ますます分からないと続ける。
「菜々子みたいな子を育てられる叔父さんの方が凄いと思いますけど。いつかのために子育て方法でも聞いとこうかな」
「おいおい、まだ早いだろ」
「菜々子みたいな子ならいつだって欲しいですよ」
 実際本気で言ったのに、叔父は少し頭を抱えたようだった。そういえば叔父は最近よく俺のことを突拍子もない奴、と言うようになった。まるで花村みたいだ、そんなことないのに。
「あー、それにしてもお前いいのか? 仲間とかと遊んでおきたいだろ、菜々子となにも一日中じゃなくても」
「俺が菜々子のこと大切なのは皆知ってますし良いんですよ。どれだけ遊んでも、名残惜しいのは変わらないです。それに菜々子とも沢山遊びたいし」
 だから問題ないですと告げると、叔父は笑みを零した。自分が思う以上に嬉しそうに話す自分は四月に会った時よりも感情がよく伝えられるようになったのかもしれないと思える。
「まぁ、あれだな。お前が酒でも飲める歳にでもなったら、晩酌付き合ってもらうぞ」
 どこか目線が合わないように言うので、それが照れているだけと分かり笑顔を返す。
「ええ、喜んで」
 のんびりとした雰囲気は実のところ珍しかった。事件だ誘拐だ病院だと家族が揃う事も少なく、また俺自身予約が入ってしまい、さてゆっくりと話をしたのはどの程度だったのだろう。
「お前にも悩みの一つくらいあるだろう。両親に言い辛かったら俺にでも相談しろ」
「はい。今のところは……そうですね」
「あるのか?」
 俯いて考え込む仕草をすれば叔父は首を傾げたので、正直な気持ちを伝える。
「向こうに行ってもこっちに遊びに来たいんですけど、どの位の頻度がいいのかな、と」
 ここ最近の一番の悩みどころを話す。これは紛れもない本心なのだけれど、ちょっとした時に一条と長瀬に話したら「成績とか人間関係じゃなさそうだから、もしかして恋愛とか思ってたのになんだそれ」と、どうやら期待外れだったらしかった。最終的にはお前らしいけどなと笑ってくれたけど。
 こうして俺の悩みを言葉に出して真面目に叔父を見れば、呆れたような困ったような、それでも嬉しそうな顔をされる。
「お前ならいつでも歓迎するだろ。帰って来たい時に帰ってこればいい。菜々子はいつだって喜ぶだろうしな」
 そんな一言がとても嬉しかったので茶化すように首をすくめた。
「そんな事言ったら、すぐに帰って来ますよ? 例えばゴールデンウィークとか」
「え!? お兄ちゃんまたすぐ来られるの?」
 軽口にも似た二人の会話に高い声が急に加わり、自分と叔父が振り向くと案の定菜々子がお風呂から飛び出して来た。湯上りの火照った顔に、まだ随分と水分を含んだ髪の毛がぺっとりと付いている。
「あ、菜々子、髪の毛乾かさないと」
「お兄ちゃん、ごーるでんうぃーくにかえってきてくれる!?」
 立ち上がりドライヤーを手にしようとした格好に飛びついて聞いてきたため少しよろけた。本当に随分懐いてくれたのを嬉しく思う。少しだけ叔父が恨めしそうな顔をしているような気がしていたが、そこは気にしないように努めた。それよりも菜々子は笑顔で問いているのだから返さなくては。
「ほら、菜々子。帰ってきてくれるみたいだからまずは、髪乾かしてもらえ」
「……うん、帰ってくるよ」
 戸惑っている間に代わりに答えた叔父の台詞に、少し目を見開いて小さく頭を下げる。そうして菜々子へと向き直り、掴まれたままの状態で頷くと、菜々子は嬉しそうに笑って髪を乾かしてもらう体勢へと向きを変えた。

「お兄ちゃん、やくそくだよ。ぜったいだよ」
「ああ、もちろん」
「こんどのお休みは菜々子と二人っきりででーとだよ?」
「うん。いっぱい遊ぼうな」
「うん! よるごはんはお父さんもいっしょだからね!」
「おう、ここのところは早く帰って来られそうだしな」
「やったー!」


 叔父が早く帰って来られるようになったのは本当につい最近の話だ。平和なのは良い事だと内心笑いながら椅子に座ってドライヤーで髪を乾かしてもらっている菜々子と、それを見守る叔父。
 俺はこの間にいて本当の兄妹のようだと思えて、また思われたら嬉しいと感じながら、デートという響きに少し物悲しさが浮かんだ。ませていると言えばそれまでだけれどきっとそういう日も来るのだろう。
 なんてまだ早いか、そう苦笑する。
 けれど菜々子がここに居て幸せそうに笑う。つい数カ月前にそんな些細なことすら消えてしまいそうなものを目の当たりにして、今更ながらにこんな幸せ噛み締める。
 一年前よりもずっと近づいたはずの距離はとても心地良い。その中心にはやっぱり菜々子がいる。
 生まれ持った素質からなのだろうとは思うけれど、やはり叔父に育て方を聞いておこうと思う。

 寒さ冷え込む春先の季節は、それでもとても暖かい。ドライヤーの音が止んで菜々子のお礼をちゃんと返す。こうして家族になって十カ月と少しの今日が終わりを告げるのだ。



(終わらないで)

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